所在地:岡山県真庭市勝山 アクセス:JR勝山駅〜徒歩 勝山城の起源は室町初期に三浦氏によって築かれた高田城と言われる。戦国期には毛利氏に攻略され、その後宇喜多、小早川、森の各氏に属する。森氏の断絶後は一時天領となるが、明和元年(1764年)に三浦明次が入り城を再築、勝山と改称し明治に至るまで在城する。勝山は古くは「高田の庄」と呼ばれ、南北朝時代の元中5年(1388)、 真島郡の地頭職(じとう)に任ぜられた関東武士三浦下野守貞宗が高田城(別名大総山城)を築城、 それ以来城下町として栄えてきました。 徳川幕府の全国統一により二万三千石の「勝山藩」が誕生し、宝暦14年又は明和元年(1764)、高田城も勝山城と改称され、 歴史上に「勝山」の文字が登場します。 岡山県で最初に町並み保存地区に指定されました。昔から出雲街道(いずもかいどう)が通っていて、江戸時代には大名の参勤交代(さんきんこうたい)の道として整備されました。旅人たちの行き来も盛んになり、美作西部の政治や経済、文化の中心地となりました。 今では当時の町並みが500メートルに渡って保存されています。 明治2年に真島藩と改称。廃藩後、城の建物は払い下げ取り壊された。(岡山県生涯学習センターHPより) 私的満足度「★★」:町並みの素晴らしさは大したものです。お城の遺構はあまりありません。高田城(勝山城)の御殿と城門の移築先は旧藩主三浦家別邸(椎の木御殿) : 岡山県真庭市勝山字岡です。(写真下が椎の木御殿に移築された城門) |