住所;岡山県倉敷市本町12-1
アクセス;JR倉敷駅〜徒歩
様式・作庭:古代庭園
文化財:
阿智神社には蓬莱思想に基づく鶴亀の石組、枯滝の石組、陰陽の磐座等が数多く遺されており、古代の石組の起源を探る貴重な存在として注目されている。
特に四世紀以後、大和朝廷は朝鮮半島と密接な関係を持つようになり、古事記によると応神天皇の御世に東漢氏(やまとのあやうじ)の祖先とされる阿知使主(あちのおみ)とその子、都加使主(つかのおみ)が十七県(あがた)の漢人(あやひと)を率いて帰化したと書かれており、その一部がこの地に住みつき、養蚕、絹織縫製(中国の呉より縫製女工、兄媛、弟媛、呉織、穴織の四人を連れて来る)、鉄文化、石文化等の先進技術を伝えたとされる。
また古事記によると、履中天皇の御世に阿知使主族に功績があり、蔵の官(内蔵寮)に任命され領地を賜ったとあり、阿知の名前が残されたこの地がそれであったと推定される。
阿智神社はその阿知使主族の奉斎したものとされている。(和名妙に阿智の明神と記されている)
この辺りは備中府史等によると、阿知潟(あちがた)、社記には吉備の穴海と称される浅海が広がり、神の島とした小島に社殿を奉祀したとある。
彼らは帰化するにあたってその帰属意識を明らかにする為、日本に古来より伝わる磐座、磐境を設け、さらに彼ら民俗の先駆的文化を盛り込むべく中国から伝来した鶴亀の神仙蓬莱思想や陰陽思想を導入したものと言われている。
石組は現在本殿向かって右側の天照大御神の磐座と磐境、菅原神社の磐座、左側の鶴石組と亀石組及び荒神社を挟んで北側に広がる枯滝の石組、斎館北側の陰陽の磐座に見る事ができる。(阿智神社HPより)
私的満足度「★★」:石組みはなかなかの迫力です。また有名な阿知の藤も良い感じに咲いていてました。
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