所在地:島根県松江市鹿島町佐陀宮内 アクセス:JR松江駅〜バス 当社は出雲國風土記に「カンナビヤマの麓に座す」佐太大神社(さだおおかみのやしろ)或いは佐太御子社(さだみこのやしろ)と見え、延喜式(えんぎしき)には佐陁大社(九条家本)、また出雲國二宮と仰がれ、出雲國三大社の一つとして杵築(きずき=出雲大社)、熊野、鎌倉時代においても杵築、日御崎とともに「佐陀大社」と称えられた御社です。 中世には伊弉冉尊(いざなみのみこと)の陵墓である比婆山(ひばやま)の神陵を遷し祀った社と伝え旧暦十月は母神である伊弉冉尊を偲んで八百万の神々が当社にお集まりになり、この祭りに関わる様々な神事が執り行われることから当社を「神在の社」(かみありのやしろ)とも云い広く信仰を集めています。盛時には神領7千貫・神職224人を有し、年間七十余度祭禮が行われていたと云いますが、太閤検地で領地を減じられ神職75人となったと云われています。 江戸時代を通じて出雲國10郡のうち佐陀触下(さだふれした)と呼ぶ秋鹿(あいか)・島根(しまね)・楯縫(たてぬい)・意宇(おう)西半の3郡半の神社を支配下に置き、歴代藩主の信仰も厚く、出雲國内でも重要な地位を占めてきました。(佐太神社HPより) 私的満足度「★★」:石柱は「佐陀神社」になっています。三殿並立の大社造りの本殿の様子を1枚の写真に収めるのが難しい神社でした。 |