所在地:島根県安来市広瀬町富田 アクセス:JR山陰本線安来駅〜バス 文化財:国史跡 月山富田城の築城年代は定かではないが、鎌倉・室町時代、佐々木・塩冶・山名・佐々木氏が守護となった。明徳2年に京極高詮が守護となり、一族尼子持久を守護代として富田城主とした。(尼子氏は、京極高秀の三男高久が近江犬上郡尼子荘を領し尼子氏を名乗った。) 尼子持久−清定−経久と三代の間に勢力を拡大し、守護京極氏と対立し、経久は守護代を罷免され富田城から追放された。文明18年、経久は富田城代塩冶掃部介を攻め、富田城を奪還して戦国大名となり、経久−晴久−義久と3代にして出雲・隠岐・石見を中心に11ヶ国に勢力を拡大した。永禄9年、毛利元就によって城を囲まれ当主尼子義久はついに毛利氏に降伏し、尼子氏は滅亡した。毛利時代には、天野隆重・毛利元秋・元康・吉川元春・広家が城主となったが、慶長5年の関ヶ原で敗れた毛利氏は防長2国へと移り、替わって、関ヶ原で戦功のあった堀尾吉晴・忠氏父子が遠江浜松より入城した。 堀尾氏は、富田城が城下町を発展させるには狭すぎるため、慶長16年に松江城を築いて移り、富田城は廃城となった。 尚、江戸時代に飯梨川対岸の地に松平近栄が広瀬陣屋を構えた。 私的満足度「★★」:安来からのバスが少ないので要注意ですね。お城は麓から山頂に到るまで見所多くたっぷり楽しめます。 |