住所:鳥取県倉吉市打吹山
アクセス:JR倉吉駅〜バス
築城年代は定かではないが、延文年間に周辺地域を治めていた伯耆守護の山名師義によって標高204メートルの打吹山に田内城に変わる新たな居城として築かれたことから始まる。その後、大永4年(1524年)に尼子氏に攻められて落城した後は尼子氏の滅となり、尼子氏の滅亡後は毛利氏の城となった。天正8年(1581年)、織田信長の命を受けた羽柴秀吉が侵攻して来ると吉川元春が城主として入城したが、毛利氏と羽柴氏が和睦した後は羽衣石城の南条氏の城となり、慶長5年(1600年)に勃発した関ヶ原の戦いで西軍に属したことから南条氏が改易となった後は米子城の中村一忠の城となったが、慶長14年(1609年)に一忠が継嗣を残さぬまま死去したため、中村氏は改易となり廃城となった。また、近世になると、打吹山城は廃城となり、山麓に倉吉陣屋が置かれることとなった。陣屋跡は現在の成徳小学校の地であり、現在でも小学校の周囲に石垣が残っている。(現地案内版等より)
私的満足度「★」:山頂にはベランダのついた天守閣風展望台があるようですが、35度の猛暑の中での訪問なので、勿論登りません。
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