所在地:鳥取市大字倭文字家ノ上548-1 アクセス:松崎駅~タクシー 文化財: 勧請年月は不明だが、倭文部がその祖神を祀ったものと伝えられる。延喜式神名帳に載る高草郡七座の一つで、中世以降は御祭神の大己貴命(大国主命)が七つの名を持つことから、七躰大明神(ななたいだいみょうじん)と称して産土神とされた。 天正年間(1573年-1592年に玉津城主・武田高信が三尺社を建立、慶長年間(1598年-1615年に鹿野城主・亀井茲矩が宝刀を奉納、さらに寛永9年(1632年)に藩主・池田光仲が社領一石三斗一升七合を寄進するなど、鳥取城南西(坤)の方位の守護神として崇敬された。 江戸時代は藩主のみでなく庶民の崇敬も広く、明和元年(1764年)の遷宮には大庄屋が郡中を代表して米俵を奉納、文化7年(1810年)には郡奉行が銀百匁を奉納、また、節分祭には広く近郷よりの参詣者が集まるなど、郷間衆庶の信仰は因幡一円におよび昭和初期まで続いた。 明治元年(1872年)「倭文神社」と改称、同4年に村社に列格、大正4年(1915年)神饌幣帛料共進神社に指定、大正8年(1919年)に本殿、幣殿、拝殿、社務所を改築、昭和18年(1943年)10月1日郷社に昇格する。 倭文は、(しづり)とも読み、絹織物のことを指す。機織りを業とする倭文部の民がこの地に居住し、祖神「倭文神・建葉槌命」を奉斎したと伝えられている 祭神は、建葉槌命(たけはつちのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、經津主神(ふつぬしのかみ)、武甕槌命(たけみかつちのみこと)の四柱。 神話「稲羽の素兎(因幡の白兎)」で、白兎を助けた大国主命がこの地から八上姫に恋文を書いたと伝えられている。(当時は歌を詠んだものと思われる) 大国主命の恋文は、「文」の文字や、「絹織物の巻物」から連想されたものとされる。(ウィッキペディアより) 私的満足度「★」:倭文は「しとり」と読み、古来存在していたしづおりという織物のことを指します。松崎駅にタクシーがいないので歩くか迷いましたが、結局タクシーを呼び出しで訪問。山の中腹にあるので歩きで行かなくて良かったです。 |