所在地:鳥取市上町162 アクセス:JR鳥取駅〜バス 形式・作庭:池泉観賞式庭園 文化財:国指定名勝 この庭園は、通称池泉観賞式庭園といわれ、書院から眺めるのが普通であるが、趣をかえて観音堂裏、竹薮の入口からも眺められるように工夫されている。特徴は樹木を植えない逆扇形の芝生地をとり、その中央上部に三組(二群一石)の石をさりげなく配した築山と、長方形の低い中ノ島を配した広い庭園である。観賞する人にゆったりとした絵画的な印象を与える。この庭は書院から眺めるのもよいが、ときには見る側の心の作用により位置をかえるのもよい。四季を通じて景観は変化するが、いつの日も庭は何かを語りかけてくれる。 名勝指定庭園を紹介した名著には、「大閤ヶ平、本陣山などが連なる鳥取市東部を囲む丘陵地にあり、すぐれた環境に支えられた林泉庭園であって、書院の東面(正面)、すなわち山側にある。書院の正面に広い池をとり、対岸は山腹を築山或いは背景として利用している。池中左に長円形の低い島を浮かべ、亀頭、亀尾と見受けられる石を配して、亀島と称している。東部(書院・正面)対岸に低い滝の石を組み、水を落としてある。築山の中央部に樹木を植えない逆扇形の芝生地をとり、その中央上部に三組(二群一石)の石をさりげなく配しているのがいわゆる遠山の景であろうが、美しい意匠である。山上には山木の樹叢にして自然に育成してあるが、その却部から池畔にかけては刈込物を散植している。 亀島に対応する東南岸(書院正面右側)を出島として石を組んであるのが、鶴島と見られるほど明瞭には構成されていない。昭和18年9月10日の鳥取大地震の為、徐々に環境の変化が見られるようになり、全体として、護岸の石や石組みがゆるみ或いは崩落しており、それがかえって古色を帯びた庭園の趣を醸しているかに見え、落ち込んだ護岸の石が夜泊石などとして意味付けられることもあるらしい。昭和59年度から62年度にかけての保存修理で不要樹木も除去され、全体的にすっきりと護岸石組が観賞できるようになり、書院正面の谷筋にある滝の流れの部分は、若干の手直しにより滝口の体裁も整い、書院からも眺められて引立つようになった。 本庭園の石組みは立石が比較的少なく穏やかであり、それが全体の地割(庭の設計)とあいまってしっくりとした景観を見せており、今回の修理で引締まった石組みとなり、その価値をより高くしたものと思われる。 寺院の庭ではあるが、立石によって仏像を象徴するなどのこともなく、石燈篭などの飾りも省き、むしろ明朗でわだかまりのない書院の池庭としての親近感がこの庭の魅力である。」 この様に日本の「名庭園」と絶賛されている。「当院由来記」によると、開基宣伝法印は始め栗谷に寺地を与えられ、雲京山観音寺を建立し、その後栗谷の寺地は御用地となり、寛永16年頃(1639)上町の現在地に移り、観音院と改称した。東照宮(現在の樗谿神社)別当寺淳光院が建立された慶安3年(1650)頃までには諸堂も完成し、庭園もこの事業の一部として、作成されたものと推定される。地割(庭の設計)が特に優れ、江戸時代の代表的な名庭として、二条城二之丸庭園より2年早い、昭和12年12月、国(文部大臣)より名勝の指定を受けた。(指定面積 1,320u)(観音院HPより) 私的満足度「★★」:国の名勝指定を受けた池泉観賞式庭園です。 |