古代から中世にかけ、本宮・新宮・那智の熊野三山の信仰が高まり、上皇・女院から庶民にいたるまで、多くの人々が熊野を参詣しました。 「蟻の熊野詣」と例えられるほど、多くの人々が切れ目なく熊野に参詣したと伝えられています。 田辺から熊野本宮に向かう中辺路(なかへち)、田辺から海岸線沿いに那智・新宮へ向かう大辺路(おおへち)、高野山から熊野本宮へ向かう小辺路(こへち)が、「熊野参詣道」として世界遺産に登録されています。(熊野本宮観光協会HPより) 祓殿王子:熊野本宮大社まであと50mほどのところに、小さな樹叢に守られるように立つのが祓戸王子です。史料によっては「祓殿」「祓所」などの別表記があります。 本宮大社の旧社地(大斎原)までも数百メートルしかなく、他の王子とは異なり参拝の直前に身を清める潔斎所としての性格を持っていた王子社と見られています。(写真左下) 湯峰王子:熊野御幸の時代には、この王子は見えていない。仁和寺に残る文献によると鎌倉時代の末期にはあったとされる。湯垢離場としての成立とともに王子が設けられたのではないかと推測される。江戸時代、三越峠から柿原宿を通り湯峰を経て熊野本宮大社に参拝する人が増え、その後、一般化した。もとは、現在の東光寺の右側に社殿があったが、明治36年5月の火災で焼失した。 |