所在地:写真は自尊院と丹生官省符神社の間
高野山町石道は、弘法大師・空海が高野山を開創した際、木製の卒塔婆を建てて道標とした表参道です。弘法大師はこの道を通り、月に9度は山をおりて麓の慈尊院に滞在していた母のもとに通われたといわれ、現在の地名「九度山」の由来となりました。やがて、大師信仰の広まりとともに多くの人々が参拝に訪れるようになり、高野山へ通じる7つの道が開かれ、「高野七口」と呼ばれました。中でも高野山町石道は主要参詣道として利用され、町石は単なる道標ではなく、参拝者が卒塔婆形町石に礼拝をしながら山上を目指したことを今に伝えています。(田辺観光協会HPより) 私的満足度「★★」:「こうやさん-ちょういちみち」と読みます。ブラタモリで紹介されました。ここから高野山奥の院まで24キロだそうです。そんなルートで訪問も良いかもしえません。 |