所在地:和歌山市伊太祈曽558番地 アクセス:和歌山電鉄伊太祈曽駅〜徒歩 当神社創建の時期ははっきりしないが、『続日本紀』の文武天皇大宝2(702)年が初見記事となる。 当神社が現在の地に鎮まる以前には、現在の日前神宮・國懸神宮(通称:日前宮)の地にお祀りされていたと伝えられている。 日前宮の御鎮座が垂仁天皇16年と伝えられているので、その頃に秋月(現在の日前宮鎮座地)より山東(現在の伊太祈曽周辺)に遷座されたと推察されるが、当初は現在の社殿のある場所より南東に500mほど離れた「亥の森」と呼ばれる場所であった。 亥の森は、今でも田圃の真ん中にこんもりとした森で、いかにも神奈備の様相を呈している。 中には、摂社である三生神社が鎮まっている。 『延喜式神名帳』には「名神大、月次、相嘗、新嘗」とあり朝廷の尊崇が篤い大社であったことがわかる。 中世には鳥羽上皇が当荘(山東荘)を根来寺に寄進されたことから根来寺との縁が深くなるが、そのため天正年間の豊臣秀吉の根来攻めにより、当神社も戦禍に巻き込まれた。 後に、羽柴秀長によって社殿の再建が成されている。 御祭神の五十猛命は素盞鳴尊の御子神様で、『日本書紀』には父神の命を受けて日本国土に木種を播き青山と成した植樹神と記されている。 このことから「木の神」として慕われ、木の神様の住む国ということでこの地は「木の国」と呼ばれ、やがて「紀伊国」と成った。 また、家や船は木材より作られたことから、家屋の神、浮宝(船)の神としても慕われている。 『古事記』では大屋毘古神の御名で登場するこの神様は、大国主神を災厄から救った神話(因幡素兎の次の段)が記されており、このことから「いのち神」「厄難除けの神」という信仰もある。 今日でも泉南地区(大阪府)の漁師が大漁祈願に、高野口方面(和歌山県)や河内長野方面(大阪府)の人々が病気平癒祈願に多く参拝されている。(和歌山県神社庁HPより) 私的満足度「★★」:「いだきそじんじゃ」と読みます。和歌山電鉄伊太祈曽駅から徒歩で参拝するのですが、この駅の猫が駅長タマとして有名です。韓国人団体旅行者がネコの写真を撮りまくっていてタマは昼から迷惑といった顔をしています。 |