所在地:奈良県桜井市多武峰319
アクセス:JR・近鉄桜井駅〜バス
様式・作庭:
文化財:十三重の塔(重文)
舒明天皇、皇極天皇の時代、国の政治をほしいままに操っていた蘇我氏に苦々しい想いを抱き、国家の正しいあり方を考えていた鎌足は、飛鳥の法興寺(現・飛鳥寺)で蹴鞠の会があったとき、たまたま中大兄皇子に会うことができたのだそうです。645年(大化元年)5月、中大兄皇子と鎌足は、多武峯(とうのみね)に登り、「大化の改新」の談合を行いました。それが、現在の談山神社本殿の裏山です(後に、この山を「談い山・談所ヶ森」と呼ぶようになり、神社の社号の起こりになりました
)。
藤原鎌足公の没後、留学先の唐から帰国した長男の定慧(じょうえ)は、678年(天武天皇7年)、摂津国三島郡安威山に葬ってあった鎌足公の
遺骸を多武峯(とうのみね)に改葬、供養のために十三重塔を建立、その翌年に堂舎を建立し、妙楽寺としたのがはじまりです。
701年(大宝元年)には、藤原不比等が聖霊院を設けて鎌足公の神像が安置されました。この聖霊院が本殿で、妙楽寺は別当寺でした。
926年(延長4年)に醍醐天皇から談山権現の号を賜り、その後、後花園天皇(在位1429〜1463年)から大明神の号を賜り、正一位勲一等の神階を追贈されました。
多武峯は大和の中央に位置し、社領、社僧が多く、東大寺や興神寺としばしば争ったようですが、明治の神仏分離によって寺が廃され、「談山神社」になりました。(奈良県HPより)
私的満足度「★」:桜井の駅からの臨時バスで向かいますが、平日にもかかわらず渋滞で1時間たっぷりかかりました。紅葉はさすがでしたが、大量の人出のせいもあり感銘はもうひとつでした。蹴鞠の庭は庭園ではなく、団体が記念撮影をする広場みたいな所ですが、拝観するのに半日つぶれたことと、ここからの十三重の塔の眺めが見事なのでアップしておきます。
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