29奈良県 丹生川上神社・上社



住所: 奈良県吉野郡川上村迫

アクセス:大和上市駅からバス

丹生川上の地は、日本書紀神武天皇即位前紀戊午年九月甲子の条に、「厳瓮(いつへ)を造作(つく)りて、丹生の川上に陟(のぼ)りて、用(も)て天神地祇を祭りたまふ」と記されており、上古より祭祀を行う聖域であったことが知られます。

天武天皇の御代白鳳四年(675)、「人の声聞こえざる深山吉野の丹生川上に我が宮柱を立てて敬(いつ)き祀らば天下のために甘雨を降らし霖雨を止めむ」という神宣により、御社殿が建立、奉祀されました。

それ以降、祈雨・止雨の神として奈良時代には淳仁天皇・天平宝字七年(763)の奉幣祈雨、光仁天皇・宝亀六年(775)の奉幣祈晴をはじめ、室町時代に至るまで数十回の奉幣祈願がなされ、朝廷・国家また人々より篤い崇敬を受けてまいりました。

後醍醐天皇が吉野の行宮(あんぐう)に在らせられた折、当社に寄せて詠まれた有名な御製です。朝廷の奉幣にあたり、旱魃(かんばつ)の際の祈雨には黒毛の馬を、長雨の際の止雨には白毛の馬を奉るのを例としました。(なお、この生きた馬の代わりに絵馬を奉納するという風習が、のちに普及したといわれています。)

平安時代の法令集「延喜式」(927)では、名神大社という特に霊験あらたかな神社として月次・新嘗祭に際し官幣に預かり、神階は寛平九年(897)従二位に叙せられました。また、雨師社・雨師明神・丹生大明神とも称されました。

そして平安中期以降は、朝廷における最高格の社格となる「二十二社」の一つに数えられました。

しかし、応仁の乱(1467)の後は奉幣も途絶えて衰微し、社地の所在も不詳となりました。

明治以降、御由緒の重きにより官幣大社として上社(明治二十九年)、中社(大正十一年)、下社(明治四年)の三社が列せられました。(丹生川上神社・上社HPより)

私的満足度「★★」:クラブツーリズムのツアーで参拝。自分でくるのはものすごく効率の悪い所です。大滝ダム建設のため建替え移転した唯一の官幣大社です。お参りの途中、通り雨が来て雰囲気最高です。


   

 

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