住所: 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2 アクセス:JR王寺駅、奈良駅等〜バス 中宮寺は聖徳太子の御母穴穂部間人皇后の御願によって、太子の宮居斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建された寺であります。その旧地は、現中宮寺の東方三丁の所に土壇として残っておりましたのを、発掘調査しましたところ、南に塔、北に金堂を配した四天王寺式配置伽藍であったことが確認され、それは丁度法隆寺旧地若草伽藍が四天王式であるのに応ずるものといえましょう。而もその出土古瓦から、法隆寺は僧寺、中宮寺は尼寺として初めから計画されたものと思われます。国宝菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)はその金堂の本尊であり、天寿国曼荼羅は、その講堂本尊薬師如来像の背面に奉安されたものと伝えております。 その後、平安時代には寺運衰退して、僅かに草堂一宇を残して本尊様のみ居ますといった状態でありましたのを、鎌倉時代に入って信如比丘尼の尽力により、天寿国曼荼羅を法隆寺法蔵内に発見して中宮寺に取り戻すなど、いくらか復興を見たものの、往時の盛大には比すべくもありませんでした。室町時代のことは殆ど判りません。 ところが、戦国時代に入って火災に会い、法隆寺東院の山内子院に避難し、そのまま住み着いていたところ、後伏見天皇八世の皇孫尊智女王(慶長七年薨)が御住職遊ばされ、以来尼門跡として、次第に寺観を整えたのが今の中宮寺であります。 宗派は戦後、法隆寺を総本山とする聖徳宗に合流することになりましたが、依然大和三門跡尼寺の随一としてその伝統を伝えております。 創建の飛鳥時代このかた千三百年の長きに亘り、尼寺の法燈を続けておるのは日本広しと言えども実に中宮寺だけであります。(中宮寺HPより) 私的満足度「★★」:なんといっても国宝半跏思惟像で有名なお寺です。とはいえ撮影禁止ですし、本堂は最近できたもの。といった感じで良い写真はありません。 |