所在地:兵庫県宍粟市山崎町鹿沢 アクセス:JR山陽本線姫路駅〜バス 天正15年、木下勝俊が築城し、元和元年、播磨姫路城主池田輝政の四男輝澄が38,000石を与えられ分家して山崎城を拡張した。寛永8年、弟池田政綱が死去し、その旧領の内3万石を加増されて68,000石を領したが、寛永17年に輝澄は家政不行届のため改易となり、甥の鳥取城主池田光仲に預けられ、鹿野1万石を堪忍料として与えられた。その後、松井松平・池田氏と替わり、延宝7年に大和郡山から本多忠英が1万石で入封する。以後、本多氏が7代続いて明治に至った。 私的満足度「★★」:黒田如水がはじめて大名に取り立てられた時に最初に居城とした城と播磨灘物語で仕入れた知識を携え訪問。 |