住所:兵庫県尼崎市北城内27
アクセス:阪神尼崎駅〜徒歩
文化財:
応仁の乱の東軍の大将、細川勝元の子、細川高国は、兄弟の澄元と家督を廻る争いが絶えず、1526年(大永6)、澄元を破った高国がこの地に築城し、従兄弟の細川尹賢に守らせた。
これが尼崎城の始まりと言われている。往時は現在の尼崎城より北東に位置していたとされ、大物城とも呼ばれた。
細川氏が摂津から勢力を失うと有岡城の荒木村重が勢力を伸張し、天正期には尼崎城を支城化し、嫡男村次が入城している。
尼崎城は、現在の北城内・南城内の約300M四方の地域に築造され、三重の堀を持ち、現在の庄下川も西側の外堀として利用されていました。沖から見ると城全体が海に浮かんでいるかのように見え、美しく水に写る姿は「琴浦城」の名称で親しまれていました。本丸(現在の城内中学校付近)には高さ約18Mの四層の天守閣が築かれていました。 この尼崎城は、元和4年(1618)から数年かけて、譜代大名の戸田氏鉄によって築城されたものです。 現在地あたりは二の丸の前の内堀と中堀を結ぶ横堀や「四角堀」と呼ばれる内堀と外堀とを結ぶ桜堀のあったところで、この付近に「伏見門」がありました。戦国時代までの中国街道が旧町場を抜けて通っていました。(尼崎市教育委員会)
私的満足度「★」:石垣造りの図書館になっています。
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