住所:堺市堺区材木町東4-1-4
アクセス:阪堺線「妙国寺前駅」下車〜徒歩
堺市内最大の木造建築で「北の御坊」とも呼ばれ、現在の本堂は文政8年(1825年)に再建されたもので、明治4年(1871年)の廃藩置県後から10年間堺県庁として使用されていました。明治維新当初の堺県は旧天領地だけでしたが、明治2〜9年に河内県、丹南4県、奈良県などを合併して、近畿でも有数の大きな県になりました。広大な県域を有し独自の県政を行った堺県でしたが、政府の大阪府域拡大の方針で明治14年(1881年)に県域を府に併合され、その歴史に幕を降ろしました。堺県の廃止後、境内地と建物は浄土真宗本願寺派へ返還され現在に至っていますが、堺県庁跡として府指定の史跡となっています。
鐘楼に釣られた梵鐘は元和3年(1617年)の銘をもち、銘文によると慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で焼失した念仏寺(開口神社の神宮寺)のために、堺の復興や新しい町割に努めた堺奉行が再鋳させたものです。明治初期の廃仏毀釈にともない堺別院に移されましたが、江戸時代はじめの堺復興の歴史を示す記念碑的な資料、年代の明らかな市内最古の梵鐘として貴重なもので、市指定の有形文化財となっています。兵火で焼亡した旧鐘を模したためか、造形的には中世鐘の形式を色濃く残すのが特徴です。。(堺観光ガイドHPより)
私的満足度「★」:堺県庁跡なので江戸300藩の分類の都合上「城」に分類させていただきましたが、当然、正真正銘のお寺です。
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