住所;北区等持院北町63 アクセス;JR京都駅〜バス 様式・作庭:池泉回遊式庭園、伝 夢窓疎石 文化財:京都市指定名勝 等持院は、臨済宗天龍寺派の古刹で、室町幕府を開いた足利尊氏が暦応4年(1341年)、夢窓疎石を開山に創建したのが始まりです。開山当初は、洛中にあった「等持寺」の別院として「北等持寺」と呼ばれましたが、尊氏の死後はその墓所とされ、尊氏の法名をとって「等持院」に寺号を改めました。開山以来、足利家の菩提寺として発展し、北山に大きな寺域を占めていました。しかし、室町幕府の衰退とともに荒廃していったようです。 江戸時代の初め、慶長11年(1606年)に豊臣秀頼によって復興されました。その後、文化5年(1808年)に多くの建物を焼失しましたが、再建されて今に至っています。現在の方丈は、元和2年(1616年)、妙心寺塔頭海福院から移築されたものです。 庭園は、尊氏の墓を境にして、東西2つの池を中心とした庭に分かれています。東部の庭園は、方丈の東側にあります。池底の状況などが室町時代の作庭をうかがわせるので、開山の夢窓疎石(むそうそせき)が作庭したという説があります。ただし、室町時代の記録と充分に整合していない点もあるため、はっきりしたことはわかっていません。 西側の庭園は方丈の北側(書院の東側)にあります。起源は東側と同様にはっきりしていません。しかし、江戸時代の絵図に現在と非常によく似た景観を見せているものがあるため、慶長年間(1596〜1615年)に再興されたときの姿が今も伝えられていることがわかります。文化5年(1805年)の火災以後はかなり荒廃していたようですが、昭和10年代前半(1935〜1940前後)に池の浚渫や護岸の修復によって昔の姿に復元されました。(京都市都市緑化協会HPより) 私的満足度「★★★」:立命館大学前のバス停から大学内を通り抜けるのが最も無駄の無いアクセスルートです。お庭は素晴らしいの一言。金閣寺に行ってもここに立ち寄らない方は勿体無いです。 |
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