所在地:京都府京都市東山区本町15丁目801 アクセス:JR京都駅〜バス 形式・作庭: 枯山水、重森三玲 文化財: 元中7年(明徳1年・1390)に岐陽方秀によって開かれ、はじめは不二庵と称していた。岐陽和尚は、天龍寺第六十四世、南禅寺第九十六世、東福寺第八十世に歴任した高僧。明徳4年(1394)に遣明船が明国から四書や詩経集伝などを舶載した時、岐陽和尚がはじめてこれらに注釈を加えて講義をされ、後に足利将軍義持に暑く帰依されている。 書院前(南)庭の「九山八海の庭(霊の庭)」(昭和に入ってから、重森三玲によって修復されたもの)は庭の中央に珍しい形の石塔が立っている。この石塔は「遺愛石」といい、寛永年間(1624〜1644)に当時和尚の湘雪守元に帰依した肥後(熊本)藩細川忠利、光尚父子から当院第七世湘雪和尚へ贈られたもの。遺愛石と名付けた須弥台と石船は九山八海の庭における須弥山である。書院西庭は「臥雲の庭」。渓谷に流れる川の流れと、山腹に湧く雲を表現しているとされる。この庭の北側奥に珍しい二階建ての茶室「観月亭」があり、その坪庭も趣がある。 また、霊雲院は幕末の頃、西郷隆盛が維新へむけた密議を交わしたところであり、日露戦争中にはロシア人捕虜の収容所にもなったという。そのロシア人捕虜たちが故郷を想い造った楽器が書院の隅にケースに入れて展示されている。(霊雲院HPより) 私的満足度「★★」:ここも重森臭さがプンプンしているお庭です。嫌いじゃないです。 |