所在地:京都府舞鶴市南田辺 アクセス:JR舞鶴線西舞鶴駅〜徒歩 戦国時代末期の天正8年(1580年)、丹後の国は細川藤孝(幽斎)、忠興親子の領国となります。細川氏は、現在の伊佐津川と高野川に囲まれた平野部に田辺城を築きました。これ以後、田辺城は細川・京極・牧野氏の居城として約290年間、領内統治の中心的存在でした。明治6年田辺城は廃城とされ、本丸付近は現在「舞鶴公園」と呼ばれ桜の名所としても有名です。また「舞鶴」の地名は田辺城の別称「舞鶴城」に由来しています。 関ヶ原合戦の前哨戦として、石田三成方1万5千人の軍勢が幽斎を攻めました。このとき幽斎はわずか500人程度で、田辺城に籠城します。しかし、幽斎は「古今和歌集」の秘事口伝の伝承者(古今伝授)であったため、古今伝授の廃絶を憂慮した後陽成天皇の勅命で包囲が解かれたのは有名な話です。舞鶴公園には、幽斎が田辺籠城のとき、古今伝授の奥義を伝えたといわれる心種園があります。 (舞鶴観光情報HPより) いにしへも 今もかはらぬ世の中に こころの種を残す言の葉 (細川幽斎が田辺籠城の際によんだ歌) 私的満足度「★」:やっと辿りついた舞鶴ですが、正直ちょっと物足りなかったです。 |
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