住所:京都市右京区嵯峨亀山町10-4 アクセス:JR京都駅~バス 様式・作庭: 文化財: 滝口寺はもと往生院三宝寺といいました。祇王寺に隣接し祇王寺と同じくこの辺一帯は平安時代、往生院という広大な寺があったところと伝えられています。 明治期に廃寺になってしまったものを祇王寺と共に再建され、歌人 佐々木信綱が、小説「滝口入道」にちなんで滝口寺と命名されました。滝口寺は、滝口入道時頼と侍女・横笛の悲恋の舞台となったお寺。この物語りを考えて見学するとより一層風情が味わえることでしょう。本堂には横笛と滝口入道の比翼の木像が安置され、門前には横笛の歌石がひっそりと立っています。滝口入道時頼は平重盛に仕えた武士で、横笛は平重盛の妹である建礼門院に仕えた雑仕(雑役の下級女官)でした。滝口入道は、花見の宴に横笛の舞姿を見て以来、恋心を抱き、恋文を送り、二人は恋に落ちました。しかし、身分違いの二人の恋に反対した時頼の父の厳しい叱責にあい、18歳の滝口入道は、俗世を捨て奥嵯峨の往生院に出家してしまいます… 横笛は、その噂を聞き、後を追い捜し歩きました。 しかし捜しあてた滝口人道は堅固として横笛と顔を合わそうとしません。横笛は泣く泣く近くにあった石に自らの指を切った血で歌を書きつけたといいます。燃える思いを胸に秘めたまま二人は、二度と逢うことはありませんでした。滝口入道は、横笛が修行の妨げになると思い、女人禁制の高野山に移ったのでした。横笛もその後すぐに奈良法華寺で尼になりますが、心の傷は拭えきれず暫くしてこの世を去りました。このことを伝え聞いた滝口は、いっそう仏道修行に励み、高野の聖といわれる高僧になったといいます・・・。(嵯峨野ネットHPより) 私的満足度「★」:お庭としてはあまり面白みはありません。 |