住所;京都市東山区本町15丁目(東福寺内) アクセス;JR奈良線・京阪電車「東福寺」下車、または京阪電車「鳥羽街道」〜徒歩 様式・作庭:寝殿造系回遊式庭園 文化財:京都市指定名勝 東福寺即宗院と薩摩藩や島津家の繋がりは、南北朝時代の薩摩島津家当主・島津氏久(第六代当主)のころ、島津氏の出身で、東福寺第五十四世住持剛中玄柔和尚が、即宗院をこの地に島津家の菩提の為に開基して建立したのが始まりとされています。 これにより代々の島津家から庇護を受けて明治まで繁栄しました。 即宗院の庭は、関白藤原忠通(近衛家)が御所の東御堂として建立し、その子兼実(九条家)に伝えたものを、藤原兼実はこの地に月輪殿と称して山荘にしました。平安末期の浄土宗を開かれた法然上人(800年前)が来訪された際に描かれた絵巻には、優美な寝殿造りの邸宅と池が描かれているそうです。 この即宗院の裏には、大老井伊直弼の安政の大獄での弾圧から逃れる為に薩摩に渡った後で鹿児島の錦江湾に身を投じた京都清水寺の僧月照が、西郷隆盛と井伊打倒の為に密議を行った採薪亭の跡もあります。西郷と月照は、和歌のつながりで近衛家に出入りし、尊王の志を持つ西郷と出会い、尊王攘夷に対し激しい弾圧を行う井伊を打ち倒すための密議をここで行い、薩摩藩士の有村次左衛門と水戸藩諸士17名が江戸城外桜田門外で大老井伊直弼の首を上げる変に繋がります。 即宗院の裏山には、薩摩藩士東征戦亡の碑があり、鳥羽伏見の戦や戊辰の戦闘で戦死した524名の薩摩藩士の氏名が刻まれた石碑が建っています。東福寺は、紅葉の名所として知られていますが、特に即宗院や竜吟庵に入る手前の橋のえん月橋(重要文化財)からの眺めは、得がたい趣があります。(京都と薩摩HPより) 私的満足度「★★★」:龍吟庵の隣りにひっそりとあります。通常非公開ですが、秋の特別拝観のときしか中に入れません。素晴らしい庭園です。他にも西郷隆盛と清水寺成就院の僧月照(法名忍向)などが倒幕へむけ密議を交わした茶室などがあり、西郷ファンにはたまらないものがあります。 |