蛸薬師 | 寅薬師 |
新京極8社寺 京都「新京極八社寺」御朱印めぐりは、平成26年(2014)11月13日、新京極商店街によって始められました。 1.誓願寺 鎌倉時代成立と推定される縁起(『誓願寺真縁起』)によると、本尊仏である「阿弥陀如来像」(丈約6.5メートル)は、今から約1300年前に、天智天皇の命により、大和の国の賢問子・芥子国という親子の彫刻師によって造られた。阿弥陀如来像の完成とともに安置するお堂の建立となり、3年の年月を費やして七堂伽藍が完成し「誓願寺」と名付けられた。 2.誠心院 平安時代中期、宮廷で女流文芸が花開いた時代、その奔放な生き方と華麗な歌の詠みぶりで強烈な光を放った歌人、和泉式部のために、関白藤原道長が今の府立医大付近にあった東北院内に小庵を建てたのが始まりという。和泉式部は老後をこの庵に住み、その死後、法名の誠心院をとって寺名としたと伝えられている。 3. 西光寺(寅薬師) 西光寺の通称名は、本尊阿弥陀如来の右側に安置する寅薬師如来像に由来する。像は弘法大師の作と伝えられ、 成就したのが寅の日、寅の刻にあたることから寅薬師と呼ばれ、宮中で歴代天皇 の信仰を集め、 弘安3年西光寺に下げ渡された。寅薬師如来は昔から開運繁栄の運気を授け、無病息災、病気平癒の御利益を与えられるといわれ、 また寅年生まれの守護佛として深く信仰されている。 4. 蛸薬師堂(永福寺) 蛸薬師通りの名を生んだ程、広く庶民の信仰を集めた町堂で、古くは蛸の絵馬を奉納するならわしがあったという。蛸薬師と称されるゆえんは、かつてこの寺にいた親孝行な僧が病身の母の求めで「タコ」を買ったが見とがめられ、進退につまった僧が日頃信仰する薬師如来に祈念したところ、タコは薬師経に変わり、また母の病が癒えたという、この説が一番有名である。 5.安養寺(倒蓮華寺) 本尊の阿弥陀如来の蓮華の台座がさかさまになっているところから、倒蓮華寺(さかれんげ )と呼ばれている、古い由緒をもつ寺である。伝えによると平安中期の寛和年間に恵心僧都(源信)が今の奈良県当麻(たいま)に建てた華台院は当寺の始まりという。華台院は恵心僧都の妹、安養尼に引き継がれて安養寺と名を改め、平安後期に京都に移された。 6.善長寺 善長寺は永正の初めに忍想上人により綾小路室町善長寺町に創建され、天生19年に豊臣秀吉の命で現在地に移転、徳川家康上洛の折りの定宿であった。 地蔵堂に祀られている秘仏地蔵菩薩は鎮護国家、無病息災、延命の守護仏として深く信仰され、瘡神といわれる大原大明神の直作であるところから、「くさ」の神さん、「くさがみさん」といわれるようになったのではないかと推測されている。 7.錦天満宮 繁華街唯一の鎮守社。昔から「智恵・学問・商才の神」として全国からの参拝で賑わう。境内には四季の花が咲き、安産塩竃神社・日乃出稲荷などもある。京のど真ん中に「京の名水」も湧出。古い懸額・唐獅子・随身もあり、寺町の鳥居は民家に突っ込んで有名。この社は、もと洛中にあったが、天生年間、豊臣秀吉の都市計画で現在地に移り、以来四百年間、街の中心、心の寄り所となる。 四条通角の派出所の横を北へ入ったところ。 文徳天皇の皇后藤原明子(染殿皇后)はこのお地蔵さんを祈って清和天皇を降誕されたという。 それにあやかり、安産のお地蔵さんとして名高く、現在女性の参拝者が絶えない。(新京極商店街信仰組合公式HPより) |
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