住所;京都市上京区妙蓮寺前町875 アクセス;JR京都駅〜バス 様式・作庭:枯山水、玉淵坊日首 文化財: 本門法華宗の大本山で、卯木山と号し、日像上人を開基とする。永仁2年(1294)に、柳屋仲興入道妙蓮法尼が、日像上人に帰依して、西洞院五条の邸を寺に改め、柳寺と称したのがこの寺のはじめで、永亨年間(1429〜1440)に、日存・日道・日隆・日慶らが、大宮通四条下るに伽藍を移築造営し、妙蓮寺と改めた。 その後、たびたび寺地をかえ、天正15年(1587)豊臣秀吉の聚楽第造営のとき、今の地に移った。現在の建物は、天明の大火(1788)後の再建である。玄関・奥書院の襖絵は、長谷川等伯一派の筆といわれる濃彩の金碧画。 十六羅漢石庭:桂離宮の造営を指図した妙蓮寺の僧 玉淵坊日首(ぎょうくえんぼう にっしゅ)の作庭。中央の青石は、臥牛石といい、豊臣秀吉公によって伏見城から移された名石である。火災による損傷が激しかったが、近年に至って造園当時の姿に復元された。白砂は、宇宙を現し、浮かぶ石は、青石が永遠の仏陀(久遠の本仏)で、他の石は、真理に呼応する地涌の菩薩を現している。お互いが感応道交している姿を波紋で表現している。十六羅漢石庭は法華曼荼羅(ほっけまんだら)の世界観を表していた! 中央の青石は、四国産と言われているが、伏見城から移築したものと伝えられている。日首が伏見城で豊臣秀吉と歓談中、褒美になにかやろうと言われて、「この庭にある臥牛石(がぎゅうせき)を所望したい。ただし、愚僧が妙蓮寺に帰り着くまでに運び込んでおいてほしい」と答えたところ、「よし、わかった」と。日首が帰ってみると、ちゃんと運び込んであったという逸話が残っている。時の権力者、秀吉の権勢には不可能がないという逸話である。(妙蓮寺HPより) 私的満足度「★★」:写真右下。10月13日の日蓮大聖人御入滅の日、前後から咲き始め、年をまたいで、4月8日のお釈迦様の聖誕日ごろ満開となる珍しい桜で御会式桜(おえしきざくら)と言うそうです。こちらもお見事。 |