所在地:京都府亀岡市余部町古城39番地、西岸寺
アクセス:JR亀岡駅〜徒歩
文化財:
この地は、古城と呼ばれる小高い平地で丸岡城(余部城)の城跡である。現在でも「古城」・「古城浦」・「政所」などの地名、城跡周辺に寺院などの跡地が点在し「兵庫寺跡」・「宝蔵寺跡」・「庚申堂跡」・城の東麓に「元西岸寺」が残る。丸岡城が登場するのは、15世紀の応仁・文明の乱のとき東軍の軍事的拠点としてである。戦国時代に入ると、天正(1573〜93)年間、八上城の波多野氏が丹波をほぼ手中にし、その傘下にあった福井因幡守貞政が、この城を守り地域権力の拠点的城として使われた。しかし、天正6年(1578)6月3日、織田信長の命を受けて丹波に進攻した明智光秀の軍勢が宇津根・雑水川・安行山の三方から丸岡城を攻めて、落城した。さらに勢いに乗じた光秀は八上城も攻め落として丹波を手中にし、荒塚山に亀山城を築いた。丸岡城の大手門は、この坂道あたりで天守閣は、西岸寺のあたりとされています。(現地説明板より)
私的満足度「★」:亀岡駅に帰る途中に偶然発見。現在城址は西岸寺というお寺になっています。覗いてみると枯山水の庭園が見えます。
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