所在地:京都府綾部市広瀬町 アクセス:JR山家駅〜徒歩 ここは、谷出羽守衛友が天正10年秀吉より1万6千石をもって、美濃国から封ぜられた、谷藩政中心の地である。藩主谷出羽守衛友の父は、大膳亮衛好といい織田信長に仕え、天正4年の大阪本願寺攻めに軍功をあげた家紋「揚羽蝶」を賜るが、天正7年、播州三木城別所長治を攻め討死し、三木の如意山金剛寺に祀る(大膳郭に墓地)。山家初代藩主・谷出羽守衛友は、父衛好と共に三木城攻めに加わり、父討死の時、その屍を奪い返し仇を討ち取る。このときの勇戦の感状を、秀吉から家紋「五三の桐」を受け本領(山家)加増され、山家に封ぜられた。城址内の灯篭には、こうした史実を止める「揚羽蝶」と「五三の桐」の紋が残されている。 また、山家陣屋に隣接する伊也神社(いやじんじゃ)の背後に甲ヶ峯城(標高232m)があり、伊也神社からは約15分で着く。麓の案内板によれば、甲ヶ峯城(左衛門屋敷跡)とあり、左衛門というのは城主・久和左衛門のことを指している。甲ヶ峯城は主曲輪の南側に2段の小曲輪、東側に帯曲輪を廻した造りになっており、それぞれに堅堀を有している。なお、甲ヶ峯城よりさらに116mいくと、かつての照福寺の跡がある。(現地案内板等より) 私的満足度「★」:城址公園脇から登城出来ます。山家陣屋のスグ側です。 |