26京都府 金剛院 庭園 

フレーム

所在地:京都府舞鶴市字鹿原595
アクセス:JR東舞鶴駅〜タクシー
様式・作庭:枯山水、伝 細川幽斉(藤孝)
文化財:府指定名勝

当山は、平安時代初期の天長六年(八二九)人王第五十一代平城天皇の第三皇子、高丘親王によって創建されました。親王は第五十二代嵯峨天皇の皇太子でもありましたが、世の無情を感して他門に入り、法名を眞如と称し、弘法大師の十大弟子の一人として化法の興隆につくしましたが、更に法を求めて天竺に向かい、途中消息を絶ちました。ご本尊の波切不動明王は、第七十二代白河天皇のご病気平癒祈願の為、永保二年(一〇八二)若狭の国から勧請されたもので、帝のご病気はこの不動明王の力によって忽ち平癒しました。帝は大いに満悦し、当時荒廃していた当山を復興し、三層の塔を建立して眞如親王を追善供養し、勅願寺として「慈恩寺」の寺号を下賜されました。また、第七十四代鳥羽天皇の皇后美福門院も深く仏法に帰依し、平忠盛(清盛の父)を造営奉行に命じ、久安二年(一一四六)新たに阿軒陀堂を建立し堂塔を修復するなどして、当山は本坊の金剛院の外に十二坊舎、食堂、浴室なども整備され全盛期を迎えます。この様に当山は皇室の庇護も厚く、その後の戦国動乱や天災人災にも耐え今日に至っていますが、江戸時代には歴代の田辺城主も当山を外護し、三重塔から本堂に至る山腹の租は細川幽斎の植樹で、秋には全山紅葉に映え訪れる人が跡を絶ちません。また境内地南西の鶴亀の庭も幽斎作と伝えられています。 ご本尊の波切不動尊は、弘法大師人唐渡海時の故事に因み、海難除け、重病平癒、火難、水難等総ての災難を除く仏様として、広く人々に信仰されています。(金剛院HPより)

私的満足度「★★★」:紅葉が素晴らしいです。三重塔も見事だし、お庭もしっとりと良い感じです。



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