住所:京都市伏見区御香宮門前町174 アクセス:JR桃山駅〜徒歩 様式・作庭:枯山水、伝 小堀遠州、中根金作 文化財: 日本第一安産守護之大神として広く崇められている神功皇后を主祭神として、仲哀天皇、応神天皇他六柱の神をまつる。初めは「御諸神社」と称したが、平安時代貞観四年(862)九月九日に、この境内から「香」の良い水が湧き出たので、清和天皇よりその奇瑞によって「御香宮」の名を賜った。豊臣秀吉は天正一八年(1590)願文と太刀(重要文化財)を献じてその成功を祈り、やがて伏見築城に際して、城中に鬼門除けの神として勧請し、社領三百石を献じた。その後、徳川家康は慶長十年(1605)に、元の地に本殿を造営し社領三百石を献じた。慶応四年(1868)正月、伏見鳥羽の戦いには、伏見奉行所に幕軍が據り、当社は官軍(薩摩藩)の屯所となったが、幸にして戦火は免れた。10月1日から9日までの神幸祭は(年によって日がかわります)伏見九郷の総鎮守の祭礼とされ、古来「伏見祭」と称せられ、今も洛南随一の大祭として聞こえている。 今から350年ほど前、小堀遠州が、伏見奉行に命ぜられた時、奉行所内に作った庭園の石を戦後移して作ったものである。小堀遠江守政一が元和九年(1623)伏見奉行に着任すると、庁舎の新築を命ぜられた。寛永十一年(1634)七月、上洛した三代将軍家光をここに迎えた時、立派な庭園に感心して褒美として五千石加増、一躍大名に列した。伏見奉行所の庭園は遠州公にとって出世の糸口でもあった。明治以降、陸軍工兵隊、米軍キャンプ場と移り変わり、昭和32年市営住宅地になったのを機に当社に移築した。庭園の手水鉢には文明九年(1477)の銘があり、後水尾上皇が命名された「ところがらの藤」も移植、その由来碑も建てている。この庭園は中根金作氏(中根造園研究所長)の作庭にかかる。 私的満足度「★★」:小堀遠州、中根金作というすごい組み合わせのお庭です。あまり見に来る人は無さそうですが良いお庭でした。 |