住所;京都市北区紫野大徳寺町59 アクセス;JR京都駅〜バス 様式・作庭:露地 文化財: 総見院は、本能寺の変で亡くなった織田信長の菩提を弔うため豊臣秀吉が建立した寺。天正10年(1582)、秀吉が主君信長の冥福を祈るために古渓宗陳(こけいそうちん)和尚を開祖として創建。信長の葬儀はここで盛大に行なわれた。墓地には、信長以下一族の墓が建ち並ぶ。 表門と周囲の土塀は、創建当時のものとか。土塀は、塀の中に塀があるという珍しい二重構造の塀で「親子塀」と説明されていた。本堂の内陣正面中央に木像織田信長座像が安置されている。本堂横には加藤清正が朝鮮から持ち帰った石で造られた、掘り抜き井戸がある。井戸水は現在も使われていて、この水を使ったお茶が拝観者へふるまわれた。本堂横の庭園には、秀吉遺愛の侘助椿の大樹が見られる。 総見院には三つの茶室がある。寿安席は八畳の広間があり、大正の初め頃の山口玄洞(1863-1937)の建立。近年の作では、表千家の即中斎好みの香雲軒(こうせつけん)。そして、ほう(广に竜)庵(ほうあん)の三つ。 総見院は明治維新の時、旧建物を壊して禅僧の修禅道場として一時期は禅堂もあったとの説明。禅道場は龍翔寺に移されたが、それまで大徳寺管長の住まいであったため隠寮と呼ばれていたという。また、豊臣秀吉が催した「大徳寺大茶会」は、ここ総見院であったとされている。(名所旧跡めぐりHPより) 私的満足度「★★」:ここは妙に親切なお寺でお茶とお菓子が出ます。説明も親切でした。 |