26京都府 大徳寺 黄梅院 庭園

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住所;京都市北区紫野大徳寺町52
アクセス;JR京都駅〜バス
様式・作庭:枯山水、千利休
文化財:国指定名勝

黄梅院は、織田信長が28歳で入洛した永禄5年(1562)、父・信秀の追善菩提のために春林宗俶(しゅんりんそうしゅく)和尚(大徳寺第92世住持)を開祖として建てた庵「黄梅庵」が始まり。織田信長は本能寺の変(天正10年(1582)6月)で亡くなり当地に密葬されたが、その後、秀吉は主君の塔所としては寺領が小さいとし、山内の別のところに「総見院」を建立し移し信長の菩提所としている。寺名の総見院は信長の法名にちなむ。
 その後、小早川隆景が開基となり毛利輝元はじめ歴代が檀越として天正14年(1586)本堂を造営、隆景の死後、隆景の法名をとり黄梅院に改称された。庫裡は天正17年(1589)造営で、茶室「昨夢軒(さくむけん)」などがある。
 本堂南側の枯山水庭園「破頭庭(はとうてい)」は、手前半分に白砂が敷かれ、奥半分は一面を苔で覆われた中に二つの石が配置された、シンプルな作庭。大書院南側の庭園「直中庭(じきちゅうてい)」は、秀吉の希望により千利休が66歳のときに作庭したと伝えられている枯山水庭。中央に石橋が架かっている瓢箪型の枯池で、対岸左手側に配置されている大石が庭のポイントといわれている。また、加藤清正が朝鮮から持ち帰ったとされる朝鮮灯籠が左側に見える。なお、加藤清正は、朝鮮伝来の梵鐘も寄進している。
 客殿の襖絵は雲谷等顔(うんこくとうがん)筆の水墨画「竹林七賢図」は重要文化財に指定されており見所のひとつ。院内には、多数の茶室がある。一般拝観者は墓地に入れないが、小早川隆景夫婦の五輪塔や毛利元就夫婦の墓碑などがある。静かで落ち着いた寺院である。(名所旧跡めぐりHPより)

私的満足度「★★」:ここも写真撮影禁止だが頑張って撮影。


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