住所;京都市北区紫野大徳寺町52 アクセス;JR京都駅〜バス 様式・作庭:露地、小堀遠州 文化財:国指定名勝 弧篷庵(こほうあん)は、1643年京都紫野大徳寺内の塔頭の1つ。忘筌は、西側に面した不規則な形の12畳の書院風茶室。弧篷庵は、慶長17年(1611)小堀遠州が竜光院内に一小庵を建立したが、寺地が狭いため、寛永20年(1643)に現在の地に移し、江月和尚を開山として建立したものであった。寛政5年(1793)火災により焼失したが、松江藩主松平治郷(不味公)の協力によって再興された。弧篷庵の<篷>とは、舟の上をおおう<とま>のことをいい、境内から見える船岡山を弧篷(弧舟)に見立てて名づけたものらしい。つまり、弧篷庵の茶室や庭が弧舟を擬して造られたいう意味なのである。弧篷庵の庭は方丈(客殿)南庭と茶席・忘筌席の前庭と書院直入軒前庭とその書院にある茶席・山雪床の露地庭の四つである。最初に見たのは方丈(客殿)の南庭で、簡明で素朴な意匠に満ちた庭であった。長方形の広場は苔地になっており、前方に二段構成の刈込垣がある。刈込垣を海洋に水平線にみて、遠く南方に見える船岡山を舟としたある種の借景的発想をかきたてるような庭にしてある。この庭の左点にヒバの牡丹刈という刈込をおく。牡丹刈とは、雪が積もれば白い牡丹の花に見えることで、この名がついている。遠州の得意技のひとつは刈込であった。 私的満足度「−」:門を一歩踏み入れるとチャイムが大きな音で鳴り響きます。凄腕の新聞販売員でも奥に進むには勇気が要ります。あきらめて退散。ここはかつて特別拝観をしたことがありますので、再チャレンジです。 |