所在地:京都市上京区烏丸通上立売下ル御所八幡町109
アクセス:地下鉄烏丸線「今出川駅」〜徒歩
様式・作庭:枯山水
文化財:京都府指定名勝
御寺(おてら)御所と呼ばれる大聖寺は、山号を岳松山という臨済宗相国寺派の尼門跡です。
開山は無相定円尼(むそうていえんに)=日野宣子(1325〜82 大納言日野資名娘、義満正室日野業子の叔母)です。日野宣子は、無学祖元の弟子・意翁円浄(いおうえんじょう)に参禅して貞治七年(1368)に出家、大聖院無相定円尼と号し、将軍義満によって安禅所として室町邸内に建てられた岡松殿に迎えられました。そして、永徳二年(1382)に無相定円尼が亡くなった後、その遺言によって義満は岡松殿を寺院とし、その法名に因んで寺号を大聖寺としました。
その後は、日本で最初に女性として禅僧となったと伝えられる無外如(むげにょ)大禅尼が弘安八年(1285)年に創建したと伝わる尼五山の景愛寺(けいあいじ)の塔頭となったようで、明応七年(1498)に景愛寺が焼失し衰退した後も、大聖寺はその伝統を継承して現在に至ります。
大聖寺も、創建以来、応仁の乱等の兵火に度々遭って移転を重ねました。一時は長谷(ながたに 現左京区岩倉長谷町)に移転し、文明十一年(1479)に毘沙門町(現上京区)、そして元禄九年(1696)にようやく創建時代の花の御所・岡松殿址だった現在地に戻りました。代々の門跡は,江戸時代末の光格天皇の皇女まで歴代内親王が二十四代450年に渡って入寺し、特に室町時代末の正親町天皇の皇女が入寺した際に、尼門跡寺格第一位の綸旨(りんじ)を受け、以来現在まで尼門跡筆頭の地位を保ってきました。明治以降は公家華族の息女が門跡を継承しています。
境内南にある枯山水の庭園は、現在の地に戻った翌年の元禄十年(1697)、前年に亡くなった明正天皇の形見として、天皇の河原御殿の資材を移して作庭されたもので、その後に改修されているようですが、東西に約30mある枯流れを中心にした御所風の優美な庭になっています。江戸時代中期の作庭記録が残るすぐれた意匠の庭園として貴重なもので京都市指定名勝に指定されています。
また、宮御殿は光格天皇(在位1780〜1817)の皇女入寺の際に千両を下賜されて御所風に建立されたもの、本堂は昭和十八年(1943)に青山御所より移築されたものです。
寺宝として、重要文化財指定の弘安四年(1281)自賛の一翁院豪画像、弘安九年(1286)の無外如大自筆の譲状があります。また、歴代の尼門跡遺愛の調度品や御所人形、衣裳、宸翰等皇室ゆかりの品々が多数残されているということです。また玄関前庭の壁沿いには花の御所跡を記す石標が置かれています。(京都観光NAVI HPより)
私的満足度「★」:平成23年冬の特別拝観で訪問。建物内には天皇家が使った家具とか玩具とかが陳列されていました。お庭は京都府指定名勝庭園ですが全て撮影禁止。なので入り口前の「花の御所の碑」くらいしか見せれる写真がありません。
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