住所:滋賀県犬上郡豊郷町下枝56
アクセス:近江鉄道「豊郷駅」〜徒歩
作庭・作者:枯山水庭園、勝元鈍穴
文化財:
江戸時代後期、又十(またじゅう)という商号で呉服屋を始め、後に北海道に雄飛して松前藩の信頼を得て多くの漁場を開き、廻船業を営んだ藤野喜兵衛喜昌(ふじのきへいよしまさ)の旧宅です。代々受け継がれた業績は、「あけぼの印の缶詰」でも広く知られています。 会館の建物は又十屋敷と呼ばれ、当時の書院、本屋、文庫倉庫や鈍穴作の庭園がそのまま残されています。また、黒檀巻雲激浪彫刻拵長崎時計(こくたんまきぐもげきろうちょうこくこしらえながさきどけい)、鎌倉時代の作といわれている常滑(とこなめ)窯甕や、狩野永海筆による彦根屏風をはじめとする、井伊直弼から拝領の武具や調度品の数々が陳列展示されています。井伊武弼が一度この屋敷に宿泊したことがあり、その時の興味深い逸話が残されていますが、その逸話とともに庭や屋敷を眺めると、幕末ご当時の様子が浮かんでくるようだといわれています。(滋賀県観光情報HPより)
勝元鈍穴:1810−1889江戸後期-明治時代の築庭家。
文化7年6月15日生まれ。辻宗範にまなび,関東から近畿地方にかけて527の庭園をつくったという。出身地滋賀県長浜市の一帯では「鈍穴の庭」とよばれる。明治22年4月9日死去。80歳。字(あざな)は子接。通称は源吾。別号に茶道で宗益,文人画で蘭谷,蘭岳。著作に「造庭伝」。
私的満足度「★★★」:素晴らしいお庭です。鈍穴(茶道の世界での名は勝元宗益)作のお庭は石組みの妙があって気に入りました。会館の近くには伊藤忠兵衛の旧宅もあります。
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