住所:滋賀県高島市朽木野尻 アクセス:JR安曇川駅〜バス 朽木陣屋は佐々木氏の庶流である朽木氏の館跡に建てられたもので、江戸時代に陣屋へと変遷を遂げたと推定されている。この朽木陣屋(朽木氏城)は、安曇川本流と支流の北川が合流する野尻に位置している。この地は若狭や越前などと京都を結ぶ朽木街道に面し、軍事上、政治的、および経済的にも交通の要衝である。朽木氏は、承久3年(1221年)の承久の乱の後、佐々木信綱が朽木荘地頭職を得て、その子孫・義綱が朽木五郎と称したのに始まり、代々室町幕府の奉公衆を務め、天文22年(1553)三好長慶に京を追われた将軍足利義晴、義輝父子を匿うなど室町幕府を補佐した。元亀元年(1570)織田信長の朝倉攻めが浅井長政の離反で失敗した際、信長の朽木越えを助けた。その後は織田信長、豊臣秀吉に仕え、朽木谷2万石を領有した。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは、当初は大谷吉継に従って西軍に属したものの、小早川秀秋に呼応して脇坂安治や小川祐忠、赤座直保らとともに東軍に寝返った。戦後、寝返り理由を明らかにしなかったとの理由により厳封されたが、以後準大名格でこの地を領有し、明治維新を迎えた。(現地説明板等より) 私的満足度「★」:あんまり遺構はありません。朽木も昔は繁栄していたのでしょうね。 |