25滋賀県 慶雲館 庭園

フレーム

所在地:滋賀県長浜市港町2-5
アクセス:JR琵琶湖線「長浜駅」〜徒歩
形式・作庭:回遊庭園、小川治兵衛
文化財:国指定名勝

明治19年(1886年)秋、明治天皇が京都行幸の帰路に、船を利用し長浜に上陸される、との報が入りました。浅見又蔵氏は早速私財を投じ、陛下の誕生日である11月3日に行在所建設を着工しました。行幸は翌年2月21日ですから、3ヶ月余りの突貫工事。行幸当日の朝に完成する慌ただしさだったと伝えられています。
慶雲館の敷地は6千余平米。建物は尾州産の総檜造り寄棟造2階建で約500平米。建設費は当時破格の1万円でした。玉座が設けられた2階からは、琵琶湖と伊吹山が一望でき、当時の新聞に「美麗壮観同地に冠たるものなり」とあります。命名は、当時の総理大臣・伊藤博文です。慶雲館は浅見氏の別邸としてだけでなく、その後も長浜の迎賓館として使われていましたが、昭和10年(1935年)の国史跡指定に伴い、翌年長浜市に寄付されました。以後、市の施設として、盆梅展や会議場所等として使われてきました。また、この場所は江戸時代後期の絵図に大通寺(真宗大谷派長浜別院)別殿と記され、住職の別荘であったことが確認されています。
庭園は2代目又蔵により、慶雲館建設25周年を記念して明治45年(1912年)に造営されました。庭園は表門から中門に至る前庭、中門から本館玄関前に広がる格調高い玄関前庭、そして本館の南に広がる本庭(奥庭)で構成されています。本庭の特徴としては第一に、中央に深い涸池を穿つなど地形に大きな起伏をつけた立体的な構成が挙げられます。2つ目は、前庭や玄関周辺と同様に巨石を用い、見る人を圧倒する豪壮な意匠です。さらに、滋賀県ならではの特徴として琵琶湖の眺望があげられます。作庭は京都の7代目小川治兵衛(屋号植治)。近代日本庭園の先覚者と呼ばれ、平安神宮神苑をはじめ多くの造園を手掛けています。庭園完成時には、治兵衛の長男保太郎(白楊)の手による写真集が発行されており、白楊が築庭にかかわったことが窺い知れます。(慶雲館HPより)

私的満足度「★★」:小川治兵衛の庭です。しっとりとした良い味出しています。ここは長浜盆梅展の会場としても有名です。


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