25滋賀県 福田寺 庭園

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住所:滋賀県米原市長沢1049
アクセス:JR田村駅〜徒歩
作庭・作者:池泉回遊様式庭園
文化財: 国指定名勝

俗に長沢御坊と呼ばれる、浄土真宗本願寺派の名刹。息長寺の別名もあります。
 古来、朝廷と関わりの深かった豪族息長氏の菩提寺でもありました。開創当時は布施寺といい、三輪(みわ)法相宗に属しましたが、後に天台宗となり、鎌倉時代末期に現宗派に改められました。南北朝時代に、現在の長浜市布施町からこの地に移築。戦国時代、時の住職・覚芸(かくげい)は、真宗を護らんと、湖北十カ寺の信徒を率いて、浅井氏とともに織田信長と戦いました。その犠牲者を弔う「殉教万人塚」が今もあります。
 境内には県指定の文化財「浅井御殿(書院)」や国の名勝である「枯山水の庭園」、瓦屋根に守られた松の古株「本願寺の蓮如手植えの松」などがあります。
 22世摂専の内室として二条家の姫が入輿した時に、随従してきた奴の「奴振り」は、公家振りともいわれ県の無形民俗文化財になっており、今でも毎年5月1日と11月中旬に、当時の姿そのままに再現されます。
<福田寺庭園>福田寺境内の書院(浅井御殿)の南庭は、水を用いずに池や滝を表現した枯山水で、国の名勝に指定されています。
 蓮如(1415−1499)の作といわれ、広さは約307平方メートルと狭いながらも、均整のとれた、落ち着いた構成の庭園です。西南隅に枯滝(かれたき)石組を構え、その前面に池を見立てて、水分石を置き、周囲に築山や植込み、景石を配しています。書院に向かって左手前に立つ石燈籠(いしとうろう)は、浅井長政が寄進したもので、室町時代前期の優品です。


<福田寺浅井御澱>福田寺境内にある書院を指します。浅井長政の居城小谷城の遺構を移築したものと伝えられ、県の指定の建造物です。
 ヨシ葺きの入母屋造りで、桁行約16m、梁間約12m、南と西に鞘の間を設け、東には2間幅の玄関が付随しています。内部は田の字形に区切られ、8間の内、西側の2間は上段の間として一段高く、落ち着いた雰囲気の造りとなっています。湖北屈指の名園(国の名勝)は、この書院から眺めるように構成されています。(滋賀県観光情報HPより)


私的満足度「★」:せっかく訪問したのに休みです。絶対誰にも見せはしないぞの意気込みが伝わる「勝手に入るな」の看板とぐるぐる巻きにした鍵付チェーンにたじろぎます。ただ、これだけのお寺ですから、ちょっと裏に回ると、何とか撮影成功です。



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