24三重県 北畠神社 庭園

フレーム

所在地:津市美杉町上多気1148
アクセス:JR名松線伊勢奥津駅〜タクシー
様式・作庭:伝 細川高国
文化財:国指定名勝

北畠氏館跡庭園とは、北畠神社の神苑にある庭園です。別称として「北畠庭園」「伊勢国司居館跡庭園」など色々呼び名があります。昭和11年9月に国の「名勝及び史跡」に指定されました。 この庭園の作成時期については以前は色々諸説が乱立し、南北朝時代につくられたのではないかとか戦国の時代につくられたのではないかとか主張されていましたが、現在では管領細川高国の作と決着しています。
 細川高国は国司北畠晴具の妻の父で、足利幕府の管領職についていました。将軍足利義晴は対立している一族の阿波足利義維の攻撃を回避するために朽木氏の本拠地朽木谷城に退避しています。細川高国もこれに同行し、義晴に助成します。享禄3年、義晴方の状勢を打開するために高国は自分の娘婿の北畠晴具に助成を求める為に、伊勢に来ています。このときに庭園を作成したといわれています。さらに朽木谷にも細川高国は庭園をつくっています。この「朽木館跡庭園」は「北畠氏館跡庭園」と同一様式であります。そしてこの細川高国も翌年には一族の細川晴元と摂津天王寺の戦いで敗れて戦死しています。このときの辞世の句には「絵にうつし石をつくりし海山を 後の世までも目かれずや見む」とあり、これを北畠晴具に送っています。ここにて作者が細川高国だといえましょう。
 この庭園の総面積は約850坪で庭のジャンルとしては武家書院庭園という種類であります。池泉観賞様式であるため中央部には池があり、古くから「米字池」と呼ばれ汀線が複雑に屈曲し、護岸の石にも工夫された配列がほどこされている。この石が約500年の風雨から池を守護しているのです。築山に関しては、樹齢400年以上の杉の大木が立ち並び、その山裾にひろがる枯山水もすばらしい景観を与えてくれます。また中央方面には6尺4寸の立石(孔子岩と呼ばれている。)があり、これを取り巻くようにして数十の石が並んでいます。江戸期には各石に訪れた著名人らが各々名称を付し、仁王石・達磨石・三人唐子石・船石・虎石・大黒石などが代表的なものです。現在はどの石がどの名称かは判別不可能ですが、一つの石に対して数個もの名称が付されるということはこの庭が訪れる人々にとって、忘れ得ないところだったのでしょう。この石が生存しているかと思える石組、岸石巧妙配列の池泉、巨木の生い茂る築山、これらを見ていると京都などにある庭園とはまた違う、素朴・豪放という感じがいたします。(北畠神社縁起HPより)

私的満足度「★★★」:がけ崩れで家城から代行バスでの運行になっています。その終着駅奥津からタクシーに乗っての訪問です。紅葉の時期なので実に素晴らしいお庭になっていました。


もう少し
北畠神社庭園

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