所在地:三重県鈴鹿市神戸本多町 アクセス:近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅〜徒歩 神戸城は神戸氏の創築によると言われ、織田信孝(信長三男)により修築された。城主はたびたび代わり、関ヶ原後には一柳氏が入封した。その後一柳氏の移封により天領となったが、享保17年(1732年)に本多氏が入り城を改修、明治に至るまで在城した。 神戸城には天守台はあったが、江戸期には天守は築かれなかった。廃藩後、建物は払い下げ取り壊された。城の中心部は神戸公園となり、天守台や本丸石垣、水堀の一部が現存している。また、二の丸跡は神戸高校の校舎となっており、南東隅にあった太鼓櫓が鈴鹿市内の蓮花寺に移築されて現存する。 私的満足度「★」:本丸跡は現在では神戸城跡公園となり、本多神社と神戸城址の碑が建ち、市民の憩いの場所(子供の遊び場)となっている。 |