所在地:三重県鳥羽市安楽島町1020 アクセス:鳥羽駅からかもめバスで20分 安楽島から徒歩で30分 文化財: 伊射波神社(いさわじんじゃ) 延長5年(927年)の『延喜式神名帳』には「貞コ粟嶋坐伊射波神社二座 並 大」と記載がある。『諸国一の宮』では、志摩市磯部町から鳥羽市安楽島町にかけての粟嶋と呼ばれた地域で、伊射波神社2座のうち1つは当社、1つは伊雑宮と述べる。しかし、『中世諸国一宮制の基礎的研究』では、伊射波神社2座は合祀されて伊雑宮に祀られたので、当社は式内・伊射波神社ではないとする。 建久3年(1192年)の『皇大神宮年中行事』に「悪志。赤崎。加布良古明神」とあり、また『外宮旧神楽歌』に「志摩国知久利が浜におわします悪止・赤崎・悪止九所のみまえには、あまたの船こそ浮かんだれ、艫には赤碕のり玉う。舳先には大明神(加布良古神)のり玉う。加布良古の外峰に立てる姫小松、沢立てる松は千世のためし、加布良古の沖の汐ひかば、都へなびけ、我も靡かん。加布良古の大明神に遊びの上分を参らする請玉の宝殿」とあるため、『日本の神々』では古くから阿久志神社や赤崎神社と共に知られていたと述べる。 当社は伊雑宮と共に志摩国一宮とされる。志摩国に一宮が2つあった理由について、『日本の神々』では伊雑宮が伊勢神宮の別宮兼官社だったため、民社で同じ祭神の当社を一宮にすべき事情があったか、鳥羽藩が神領再興を叫ぶ伊雑宮の神職を牽制するためにもう1つの一宮をつくったのではないかと推測している。(ウィッキペディアより)
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