所在地:愛知県豊橋市今橋町 アクセス:豊橋鉄道豊橋東田本線「市役所前」駅〜徒歩 当吉田城は、はじめ今橋城と称し永正2年(1505)、牧野古白によって構築された。 以来、東三河の要衝として今川・武田・徳川ら戦国武将の攻防を経て、天正18年(1590)に池田照政が入封し、15万2千石の城地にふさわしい拡張と城下町の整備が行われた。 しかし照政は在城10年で播州姫路に移封され、のちに入封した大名は譜代ながら少禄のため照政によって大拡張された城地も未完成のまま明治に至った。 この城の縄張りは背後に豊川をひかえ本丸を中心に二の丸・三の丸を配置しそれで堀が同心円状にとりかこむ半円郭式の後うしろ堅固の城といわれるもので本丸は3,931平方メートル(1,189坪)二の丸は15,154平方メートル(4,584坪)三の丸は50,142平方メートル(15,168坪)腰郭は1,864平方メートル(564坪)堀土手敷は53,534平方メートル(16,194坪)総面積は124,625平方メートル(37,699坪)である。 現在見られる遺構は照政時代の旧態を残している。(現地説明板より) 私的満足度「★」:お祭りの日に訪問。写真上は、もうすぐ花火大会が始まるので場所取りに余念の無い豊橋市民の図です。 |