所在地:吉良町大字駮馬字城山
アクセス:上横須賀駅〜徒歩
承久年間(1219〜1222)に三河守護職に任じられた足利義氏は、西条城(西尾城の前身)を築いて長男・長氏に譲り(この長氏の系統が西条吉良氏となる)、吉良荘の東側にあたるこの地に東条城を築いて三男・義継
(東条吉良氏となる)を置いた。室町時代の“応仁の乱”(1467〜)では、10代義藤は山名宗全方に与し、細川勝元方の西条(西尾)吉良氏と骨肉相争う悲劇となった。
1561(永禄4)年、松平元康(のちの徳川家康)の三河平定において、14代義昭は家康に攻められ落城し、吉良東条家は滅亡する。その後、天下を掌握した家康により、13代義安の子・義定が旗本に取り立てられ、この地に吉良陣屋(吉良町岡山)を置いて再興した。これが江戸時代の高家吉良家の始まりであり、義定の子孫が、“忠臣蔵”で名高い吉良上野介義央である。
家康による落城後、東条城には家康家臣の青野松平家より家茂が入り、東条松平家の祖となる。1590(天正18)年、徳川家康の関東移封に伴い、東条城は廃城となった。(現地案内板より)
私的満足度「★」:華蔵寺から吉良陣屋に向かって歩いていると、遠くに物見櫓が見えます。これが東条城かとここも徒歩で登城です。いかにも戦国時代のお城らしく良く整備されています。上横須賀の駅から1時間半で3か所(ここと華蔵寺・吉良陣屋)訪問し良い運動になりました。帰宅後、駅前に無料レンタサイクルがあったことをネットで発見し、ちょとがっかりしました。
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