23愛知県 田原城

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所在地:愛知県田原市田原字巴江
アクセス:豊橋鉄道渥美線三河田原駅〜徒歩

戦国武将が覇権を競う争乱の世、田原城も例外ではなく、今川氏・武田氏・松平氏(徳川氏)らの激しい攻防にさらされることとなりました。初代・戸田宗光から数えて五代目の堯光の時代に、今川方に送られる途中の松平竹千代(徳川家康)を奪って、織田方に送った事件がありました。この事件に怒った今川義元は田原城を攻め、激戦ののち落城。四代・宗光と五代・堯光は共に討ち死に。この時、宗光の弟・光忠は宗光の首を抱いて、我が子・忠次と共に城を脱出。山越しに落ち延びて、野田村の西圓寺にたどり着き、住職に首を預けて宗光の供養を頼みました。
 落城により城主は今川氏にとって替わり、その後、今川氏の城代が四代続きましたが、今度は永禄8年(1565)徳川家康が攻めて落城。田原城は徳川方の所有となりました。徳川方の4人目の城主に、伊豆の下田から戸田氏(四代宗光の弟・光忠の孫・尊次)が国替えになり、城主として返り咲きました。戸田氏が三代続いた後、寛文4年(1664)三宅家に替わり、明治まで実に十二代、二百年の間三宅家が藩主として続くことになりました。
 いま最も田原城の雰囲気を伝えるのは、博物館の埋蔵資料室として使われている二の丸櫓でしょうか。正面の桜門から坂を登って二の丸櫓の傍らを歩いていると、武士が裃を着て登城してくるかのような気分が味わえます。一方、博物館の駐車場から続く空堀跡も、趣のある散歩道。路の両脇に紫陽花が植えられていて、梅雨の時期には見事な花を咲かせます。巴江神社と護国神社、崋山神社と城跡一帯は落ち着いた散歩道としても一体感があって、この道を毎日通学する子どもたちがうらやましいくらいです。田原を代表する風景といってもいいでしょう。(田原市観光ガイドHPより)

私的満足度「★★」:予想以上にいろいろ残っているので、やや興奮気味だったのを覚えています。


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