所在地:愛知県小牧市田県町152 アクセス:名鉄〈田県神社前駅〉下車、徒歩5分 文化財: 世に名高い小牧長久手の合戦に際し、秀吉が前線の砦を築いた久保山。その麓に続く俗称「縣(あがた)の森」に当神社は鎮座しております。その御創建年は詳らかではありませんが、醍醐天皇の延長五年(927)に編纂された『延喜式』には「尾張国 丹羽郡 田縣神社」と記されております。また貞治三年(1364)の『尾張国内神名牒』にも、「従三位上 田方天神」とあり、古くから格式の高い神社であったことがわかります。いにしえの昔、この地方を治めた豪族丹羽氏が栄華を誇った痕跡は、神社周辺の数多の古墳遺跡からも伺い知れますが、その背景に神々への真摯な祈りがあった事は疑いようもありません。当神社にまつられている「御歳神」「玉姫命」も五穀豊穣と子孫繁栄に極めて篤い御神徳がございます。 御歳神について『古語拾遺』には、次のような神話が記されております。あるとき土地の者が田植えの前に百姓に牛肉を食べさせました。それを知った御歳神は大変怒り、田に蝗(いなご)を放して稲を枯らしてしまいます。困った土地の者達は、御歳神に白猪・白鶏・白馬を捧げて謝罪します。御歳神はこれを許し、糸巻き・麻の葉・鳥扇等と共に男茎を用いた蝗除けのまじないを教えました。こうして稲はもとの緑色を取り戻し、田は豊作となったと言います。 また当神社に合祀された玉姫命は、『尾張国熱田太神宮縁記』などの史料によると、爾波縣君祖大荒田命の娘として生まれ、尾張氏の建稲種命と結婚しました。子宝にも恵まれて幸せに暮らしていた夫婦でしたが、建稲種命は日本武尊のお供として出征し、遠江で運悪く戦死してしまいます。一人残された玉姫命でしたが、故郷に戻った後は母親として立派に子供達を育てあげ、民達のお手本として懸命に働き、在地の発展と子孫繁栄を成し遂げたそうです。 「野も山も みなほほえむや 田縣祭」例大祭は国の内外で有名な豊年祭として、毎年三月十五日に執り行われます。この祭は直径六〇センチ、長さ二メートル余りの大男茎形(男性の性器)を毎年新しく檜で作成し、それを厄男達が御輿に担ぎ、御旅所から行列をなして当社に奉納し、五穀豊穣、万物育成、子孫繁栄を祈願する祭です。当日は世界各国からの参拝者で境内は埋まり、「見くらべて 笑えこの梅 あのさくら」の詩歌の如く、国境を越えてみな微笑む祭で、まさに「天下の珍祭」であります。(田懸神社HPより) 私的満足度「★★★」:大懸神社に行くのなら是非こちらにも訪問し、巨大な例のものを一度見てみたいと思い参拝です。本殿・奥宮に堂々と鎮座していました。 |