所在地:一宮市花池2-15-2 アクセス:JR尾張一宮駅徒歩15分 文化財: 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では尾張国中島郡に「大神神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。社名は、写本によっては「大神々社」「太神社」とも表記される。『妙興寺文書』「中島長利寄進状」(観応元年(1350年))では、大神の地はと塚(現・一宮市大和町戸塚)の北東部になるとあり、この記載が名神大社比定の傍証になる[1]。一方、他の名神大社と異なり『延喜式』臨時祭 名神祭条では当社の記載がないため、神名帳の「名神大」を衍字と見る説もあるが、肯定説では『貞観式』や臨時祭式の成立後に当社が名神大社の列に加わったためと推測する。また『和名抄』に見える郷名のうちで、当地を中島郡美和郷にあてて「みわ(神/美和)」のつながりを見る説が古くからあるが、『新編 一宮市史』では拝師郷または川埼郷にあてる。 社伝によると、当地は熱田社(熱田神宮)の荘園(熱田庄)で、毎年旧暦7月7日には熱田社に素麺と蓮を奉納したといい、「花池」の地名はその名残とする。しかし『尾張国地名考』ではこの伝承は否定されており、真偽は不詳。また近世には、当社は「三明神」「三宮明神」と称されていたという。 明治5年(1872年)5月には近代社格制度において郷社に列した。現在では尾張国一宮を称し、全国一の宮会に加盟している(ただし一般的には尾張国一宮は真清田神社とされる)。これに関して大神神社側では、真清田神社・大神神社が対の宮であったとし、ともに一宮となったと主張している。現在神職は常駐しておらず、一宮市内の大神社の宮司が兼務する。(ウィッキペディアHPより) 私的満足度「★」:ここも尾張の国の一宮だと名乗っており、巡拝会にも加盟しているものですので仕方なく訪問です。普段は無住なのですが、この日は奇跡的に神官さん(寝起きのお御爺さん)がいらっしゃって御朱印がいただけました。住所氏名の記帳をさせられます。書置きのちょっと残念な御朱印ですが、たいへんラッキーなことのようですので有難く頂戴いたしました。 |