所在地:愛知県名古屋市中区丸の内2丁目3番37号 アクセス:丸の内駅~徒歩 文化財: 社に奉斎する家康公は尾張徳川家中興の祖にして、名古屋の地を開き、城を築いて第九子義直公(尾張藩祖)を以て始めて居城せしめられ、名古屋開府の祖神にし恩神でもあります。 家康公逝去後三年即ち元和五年(1619)九月十七日に義直公は日光山鎮座の式に準じて、城郭内三の丸に社殿を創建し天台宗尊寿院並びに神主吉見公和氏を以て奉斎せられ社領一千石を附せられたが、廃藩と共に廃せられる、明治五年五月村社に列せられ、同年八月八日縣社に昇格、同九年十月舊藩立校明倫堂跡地即ち現在地に遷座される。 建物は、創建以来の権現造の本殿、渡殿、楼門、唐門、透塀、楽所、社務所等極彩色の国宝の諸建造物が並び輪郭の美を極めていたが、戦災を被り烏有に帰す。 明治五年五月村社に列し同八年八月縣社に列せられる。 現在の本殿は、昭和二十八年十月尾張徳川家より藩祖義直公の正室高原院殿(春姫)の霊廟〔慶安四年(1651)建立〕を移築し社殿とする。 昭和三十五年県重文に指定される。(名古屋東照宮HPより) 御祭神 (大国主命・事代主命) 当宮末社福神社に奉祀致します(写真左下) 大国主命即ち大国(大黒)様に東照公御在世の砌(みぎり)、深く大国様を御信仰になり、天海僧正(慈眼大師)をして一刀三礼を以て彫刻致しました尊像であります。 後に名古屋開府に当たり初代藩主徳川義直公(家康公第九子)に賜り守護神として崇敬され元和五年当宮創立に際し相殿に御奉祀申上げたのであります。 特に申上げたい事は、此の大国様は腰に両刀を差し、両手に玉を抱えたお姿であります。これは邪を斬り悪魔を払い玉の如く円満なる大慈悲心の表現であります。清浄な心真実の心を信仰致されれば必ずや神明の感応疑いありません。 大方の諸賢宏大なる開運福徳の御利益を賜らん事を御祈願ください。(名古屋東照宮HPより) 私的満足度「★★」:御三家筆頭の東照宮ですが比較的地味です。となりの福神社と併せて見開き御朱印600円を頂きました。 |