所在地:愛知県南設楽郡鳳来町長篠市場 アクセス:JR飯田線長篠城駅〜徒歩 文化財:国史跡 寒狭川〔豊川〕、宇連川の合流点標高60m、比高30mの段丘上に位置し、1508年荒尾の岩古谷城主菅沼満成の嫡男菅沼元成が築いた城である。1560年「桶狭間の戦い」の後、菅沼貞景は徳川方となる。1571年伊那の秋山氏、犬居の天野氏に攻められ、菅沼氏は武田方に寝返り、1572年「三方ヶ原の戦い」で徳川軍と対峙する。1574年武田信玄が亡くなると、家康は菅沼正定の長篠城奪回に動く。同族の三河亀山城主奥平貞能・貞昌〔信昌〕父子との内通により、家康の長女亀姫を妻に与えることで、容易に奪回。 1575年、武田勝頼軍×織田・徳川軍の「長篠、設楽ヶ原の戦い」が始まる。武田騎馬隊に対し、信長は馬防柵と鉄砲隊3列3000挺を構え、設楽ヶ原で迎え撃ち、織田・徳川軍の圧倒的勝利で終わる。信昌は亀姫を正室に迎えて新城城へ移り、1576年廃城となる。現在は曲輪、土塁、空掘が残る。(長篠城址史跡保存館資料より) 私的満足度「★」:ちょっとした広場しか残ってないのでややがっかりでした。鳥居強右衛門が叫んだ対岸の方から観ればもう少し良い眺めだったかもしれないですね。 |