所在地:伊豆の国市韮山1
アクセス:伊豆箱根鉄道韮山駅〜徒歩
文化財:国重要文化財
延徳3年(1491年)足利茶々丸を討った北条早雲(伊勢新九郎長氏)は韮山に伊豆支配のための城の築城を開始しました。 それが韮山城です。(静岡県田方郡韮山町)北条氏康の代となり、弘治元年(1555年)には伊豆支配を担い、城主として氏康5男の北条氏規が入城しました。氏規はこの韮山城の他に相模の三崎城主を兼任し伊豆衆と三浦衆を統括しました。永禄11年(1569年)と元亀元年(1570年)の二度にわたって甲斐の武田信玄がこの韮山城に攻め寄せましたが見事撃退しています。韮山城は時代を経るごとに順次城域が追加拡張され、分散した多くの砦や郭が互いに連携し合う広域に及ぶ城郭となっていきました。
現在、江川邸として公開されている場所も当時は江川郭として城の東側を守る砦として機能していました。天正18年(1590年)の小田原合戦においては城主氏規が3600名を率いて籠城し豊臣方の織田信雄、細川忠興、蒲生氏郷、蜂須賀家政、福島正則らの4万4000名を相手に戦いました。これだけの兵力差にも関わらず城は落ちず、韮山城は3ヶ月間にもわたって戦い抜きました。しかし、すでに山中城、足柄城はじめ多くの北条方の城が落城し、小田原本城も包囲されるにおよび、これ以上の交戦は無意味と悟った氏規はついに開城を決意したのです。(現地案内版等より)
私的満足度「★★」:陣屋としては江川邸が公開しています。江川邸からほど近い場所に小高い山があり、これが韮山城跡となっています。
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