所在地:静岡県静岡市駿河区根古屋392番地
アクセス:JR静岡駅〜バス
久能山は推古天皇の時(西暦600年頃)久能忠仁が初めて山を開き一寺を建て観音菩薩を安置し、補陀落山久能寺と称したとあり、久能山の名称もこれから起こったと思われます。
その後、僧行基をはじめ多くの名僧が相次いで来たり住み建物の数330坊も建ち並んで非常に隆盛であったが嘉禄年間(1225年頃)山麓の失火によって類焼し、昔の面影はなくなったのでありました。
永禄11年(1568年)武田信玄は久能山が要害であることを聞き久能寺を近くの北矢部(清水市、今の鉄舟寺)に移し山上に城砦を設け久能城と称しました。
天正10年(1582年)武田氏亡び、駿河の国一帯が徳川氏の所有するところとなったので久能山も自然徳川氏のものとなったのでした。
元和二年(1616年)4月17日家康公の薨後、久能城を廃止し、東照宮を建立し現在に至っています。
久能陣屋は、旗本交代寄合の榊原清政が、慶長11年(1606年)に久能城の守衛を命じられたことに始まる。元和2年(1616年)に家康が久能山に葬られ東照宮が築かれると、子の照久は東照宮の宮司も兼務したが、その子の時に辞職。以来榊原氏は明治に至るまで久能山東照宮の守衛をつとめた。
私的満足度「★」:案内板等有りません。大雨だったせいもありますが、事前に調べておいたので多分ここいらへんという写真を撮影して撤収です。
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