所在地:岐阜県郡上市大和町牧字志ノ脇
アクセス:長良川鉄道徳永駅〜徒歩
様式・作庭:池泉鑑賞式庭園
文化財:国指定名勝
中世における東氏230余年間の居城であった篠脇城跡については古くから知られていましたが、東氏(とうじ)の生活の場であった館跡については、その所在すらわからないまま440余年を経て今日にいたっていました。
昭和54年6月、篠脇城の麓で圃場整備工事が始まり、作り土をはねのけたところ、多数の陶器片が出土し、建物の礎石らしきものの一部も見つかりました。出土品の調査の結果、東氏の館跡であることが確認されました。翌年からの4ヵ年にわたる第一次発掘調査で、膨大な出土品のほか見事な庭園遺構を掘り当てました。中島を配した優雅な池泉部は風情に優れ、貴重な中世武将庭園としての学術的価値も認められて、昭和62年に国の名勝に指定されました。その後、平成元年に第二次、平成4年に第三次の発掘調査を行い、全貌を明らかにしています。
復元整備は、平成元年度から4年度にかけて三段階に分けて行われました。池泉庭園の遺構は、石組がほぼ完全な形で発掘されたので、一部護岸の石を補い風化防止処理を施した以外は発掘時のまま保存されています。また、庭園西部に築地塀の基礎と思われる石列が検出されており、土塁状に盛土して築地塀を表現しています。池泉部以外の庭園は、すべて真砂土で盛土・張芝し、植栽して景観を添えました。
東氏館は、少なくとも二度の大きな戦火にあっています。一度は、応仁2年(1468)、美濃の守護代斎藤妙椿が急襲し、焼き払われました。また、天文9年(1540)には、越前朝倉勢の来襲を受けて戦火にあい、これを契機に翌年、八幡町赤谷山に城を遷しました。(東氏館跡HPより)
私的満足度「★★」:長良川鉄道でテクテクやってきました。さすがは国の名勝指定です。
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