住所:岐阜市長良福光2403-1 アクセス:JR岐阜駅〜バス 文化財: 織田信長が斎藤道三の孫の斎藤龍興を亡ぼし永禄10年(1567年)美濃に移ると、ここ崇福寺(そうふくじ)を菩提所とし、保護しました。その後、本能寺の変で信長と息子の信忠が明智光秀に討たれると信長の側室お鍋の方がその遺品を送り寺内に埋め位牌を安置させました。これが現在の「織田信長父子廟」です。 本堂には「血天井」があります。これは、信長の孫織田秀信が慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで西軍石田三成に加担したため、東軍の猛撃にあい岐阜城は落城しました。この時戦死した将兵の菩提を弔うため、岐阜城の床板を、本堂の天井に張られたものです。今でも鎖かたびらや鎧ひだたれの血痕が付着しているのが見られます。 また、「心頭を滅却すれば火も自ずから凉し」と言ったことで有名な快川紹喜が住職を努めたこともある由緒あるお寺で、堂内には貴重な資料が展示されているほか、きれいに手入れされた庭では、秋にはドウダンツツジの紅葉が見られます。毎年10月第一土曜日のぎふ信長まつりの日に「織田信長公追悼式」が営まれ、まつりの2日間は無料開放されます。(岐阜市観光情報HPより) 私的満足度「★★」:岐阜ではめずらしく150円ですが拝観料を取られました。でも本堂前庭園が見られて良かったです。 |