所在地:岐阜県郡上市大和町牧字志ノ脇
アクセス:JR徳永駅〜徒歩
文化財:県指定史跡
鎌倉時代下総国(現千葉県)の名門、千葉氏の一族である東胤行は,承久の乱(一二二一)の戦功により郡上郡山田庄を加領され大和町剣に阿千葉城を築きその後、三代約九十年間居城しましたが、四代目氏村のときにこの篠脇城に移り十一代常慶まで二百数十年間ここで領地を治めました。
城跡は山頂に本丸跡、二の丸跡、腰くるわ跡があり、この三段三五〇〇平方メートルの城郭を囲んで放射状に三十余条の堅堀(通称白の目堀といい石や丸太を投げ落とし敵を撃退)を構築しています。東氏は代々歌道に優れていましたが、中でも九代常縁は高名な歌人で古今集研究の第一人者でした。彼は連歌師・宗祇にその奥義を伝授したことで知られ、「古今伝授」の祖と言われています。
常縁が関東へ出陣中の応仁二年(一四六八)美濃国守護代斎藤妙椿の急襲を受け父氏数の奮戦むなしく落城しましたが、常縁が和歌十首を送り城を返されたという話が伝えられています。
天文九年(一五四〇年)越前の朝倉勢が来襲したときには、この時の城主常慶は篠脇城で敵の大軍を迎撃して敗退させましたが、その翌年に八幡赤谷山城へ移りこの城は廃城となりました。(現地案内版より)
私的満足度「−」:東氏庭園の裏にお城の登り口があります。
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